アニキータ・レプニン

アニキータ・イヴァノヴィチ・レプニン公

アニキータ・イヴァノヴィチ・レプニン公(ロシア語: Аники́та Ива́нович Репни́н1668年 - 1726年7月3日)は、ロシア・ツァーリ国およびロシア帝国の軍人、政治家。レプニン家の出身。

生涯

1689年にロシアの摂政ソフィア・アレクセーエヴナが陰謀をめぐらしたとき、ピョートル1世を至聖三者聖セルギイ大修道院で匿った[1]。その後はアゾフ遠征(英語版)に参加して将軍に昇進した[1]大北方戦争では主要な戦闘に全て参加したが、1708年のホロウチンの戦い(英語版)で敗北して降格され、同年のレスナーヤの戦いで汚名返上して許された[1]ポルタヴァの戦いではロシア軍の中央部を率いた[1]。その後はバルト海岸に転じ、1710年にリガを占領した後はその初代総督に就任した[1]

1724年、一時失脚したアレクサンドル・メーンシコフに代わって戦争相に就任した。エカチェリーナ1世によって元帥に叙された[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f Bain, Robert Nisbet (1911). "Repnin" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 23 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 106.
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