エルンスト・ルドルフ

エルンスト・ルドルフ
Ernst Rudorff
基本情報
生誕 1840年1月18日
出身地 プロイセン王国の旗 プロイセン王国
ベルリン
死没 1916年12月31日
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国
ベルリン
学歴 ライプツィヒ音楽院
ジャンル ロマン派音楽
職業 作曲家、音楽講師
ウィキポータル クラシック音楽
ポータル クラシック音楽

エルンスト・フリードリヒ・カール・ルドルフErnst Friedrich Karl Rudorff, 1840年1月18日 - 1916年12月31日)は、ドイツ作曲家、音楽教師。

生涯

ベルリンに生まれる。1852年から1857年までヴォルデマール・バルギールピアノを学ぶ。1859年にライプツィヒ音楽院に入学し、イグナーツ・モシェレスルイ・プレディユリウス・リーツに師事した。また、モーリッツ・ハウプトマンカール・ライネッケからも個人的な手解きを受けた。1865年にケルン音楽院でピアノを教え始め、1867年にはケルン・バッハ協会 (Bach-Verein Köln) を設立した。1869年にベルリンに移住し、ベルリン高等音楽学校(現在のベルリン芸術大学)で1910年までピアノ講師を務めた。1880年から1890年まで、マックス・ブルッフの後任としてシュテルン合唱協会を指揮した。ベルリンにて没。

作品

主な作品に、交響曲第1番変ロ長調(作品31)、交響曲第2番ト短調(作品40)、交響曲第3番ロ短調(作品50)、オーケストラのためのセレナーデ(イ長調作品20、ト長調作品20)、ルートヴィヒ・ティークの「金髪のエックベルト」Märchen vom blonden Ekbertへの序曲(作品8)、「射手オットー」Otto der Schützへの序曲(作品12)、「ロマンティック序曲」Romantische Ouvertüre(作品45)、オーケストラのための三楽章のバラード(作品15)、オーケストラのための変奏曲(作品24)、ヴァイオリンとオーケストラのためのロマンツェ(作品41)、Der Aufzug der Romanzeルートヴィヒ・ティークによるリブレット)、Gesang an die Sterneフリードリヒ・リュッケルトによるリブレット)、Herbstlied(作品43)、弦楽六重奏曲イ長調(作品5)がある。また、多くの歌曲を作曲した。

その他、フランツ・シューベルトの幻想曲の管弦楽編曲、カール・マリア・フォン・ヴェーバーオイリアンテの総譜校訂、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲集、ピアノソナタ集の総譜校訂、ヴェーバーのハインリヒ・リヒテンシュタインへの書簡の出版(1900年)などに携わった。ルドルフとヨハネス・ブラームスヨーゼフ・ヨアヒムとの往復書簡が出版されている。

参考文献

ウィキメディア・コモンズには、エルンスト・ルドルフに関連するカテゴリがあります。
  • Nicolas Slonimsky, ed. (1958). "Rudorff, Ernst Friedrich Karl". Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th ed.). p. 1388.
  • この項目の現在または以前の版は、現在パブリックドメインであるBaker's Biographical Dictionary of Musiciansの第3版(1919年)の内容を含んでいます。
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