ガリア・ルグドゥネンシス
ガリア・ルグドゥネンシス(ラテン語: Gallia Lugdunensis)は、ローマ帝国の属州のひとつ。現在のフランス東部に相当する。ガリアのケルト人居住区にあった。皇帝属州であり、皇帝の管轄に入る。
「ルグドゥネンシス」とはこの地方の首都ルグドゥヌム(現在のリヨン)から取っており、当時では、恐らく重要な都市であったと思われる。本来の境界線はセーヌ川とマルヌ川の間であり、ここを挟んで北東側がガリア・ベルギカ、ガロンヌ川を挟んでガリア・アクィタニアと接している。
歴史
帝政以前のガリアに関してはガリアを参照の事。
共和政から帝政にローマが変わり、アウグストゥスの治世になるとこの属州の範囲は縮小された。ロワール川とガロンヌ川と挟んだ地域はガリア・アクィタニアに併合され、北東部はゲルマニア・スペリオルと合併した。さきに掲げた図は縮小された後の地域を指している。
296年のディオクレティアヌスによるテトラルキアで帝国の統治が分割されると、この地域は「ガリアエ」と呼ばれ、しばしば混同されて使われている。もともと「ガリアエ」には「ガリア人の土地」という意味があり、しばしばケルト系のヘルウェティイ族、ベルガエ人、ゲルマン族が居住する地域全部を含めた総称として使われた。しかし西ローマ帝国では「ガリア人の住む土地」という意味で南東ガリア、ブリタンニア、ヒスパニアもまとめて「ガリアエ」と呼ばれた。
脚注
参考文献
関連項目
前期ローマ帝国の属州(3世紀以前) | |
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本土 |
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元老院属州 |
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皇帝属州 | |
皇帝私領 | |
東方属州(115年 - 117年) | |
117年以前に存在した属州 | |
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。 |
後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀) | |||||||||||
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歴史的背景 | 293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。道は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。 | ||||||||||
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ガリア道(英語版) |
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イタリア道(英語版) |
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イリュリクム道(英語版) |
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オリエンス道 |
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その他 |
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