マーク・マグワイア

マーク・マグワイア
Mark McGwire
サンディエゴ・パドレスでのコーチ時代
(2017年5月9日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス郡ポモナ
生年月日 (1963-10-01) 1963年10月1日(60歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1984年 MLBドラフト1巡目
初出場 1986年8月22日
最終出場 2001年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1984年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

オリンピック
男子 野球
1984 野球

マーク・デビッド・マグワイアMark David McGwire, 英語発音: /mɑrk ˈdeɪvɪd məˈgwaɪɚ/[1]; 1963年10月1日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ポモナ出身の元プロ野球選手一塁手)。右投右打。愛称はビッグマックBig Mac)。

1998年サミー・ソーサシーズン最多本塁打記録争いを繰り広げて当時の新記録となる1シーズン70本塁打を放った。通算583本塁打は引退当時歴代5位の実績。2010年1月12日セントルイス・カージナルスの打撃コーチ就任に際し、1998年を含めて一時期アナボリックステロイドを使用していた事を告白した。

弟のダン・マグワイア(英語版)は元NFLQBで、シアトル・シーホークスマイアミ・ドルフィンズでプレーした。

経歴

プロ入り前

ダミエン高等学校(英語版)時代は投手としても登板していた。1981年MLBドラフト8巡目(全体199位)でモントリオール・エクスポズから指名されたが[2]、契約せずに南カリフォルニア大学へ進学した。

大学進学後に本格的に野手転向し、1983年には第12回日米大学野球選手権大会のメンバーとして来日、1984年にはロサンゼルスオリンピック公開競技として行われた野球競技にアメリカ代表として出場し、銀メダルを獲得している[3]。大学時代はランディ・ジョンソンとチームメイトだった。

プロ入りとアスレチックス時代

1984年MLBドラフト1巡目(全体10位)でオークランド・アスレチックスから指名され[4]、契約を結びプロ入り。

1986年8月22日にメジャーデビューし、1987年には当時のMLBの新人の本塁打記録である38本塁打を大きく上回る49本塁打を放ち、最多本塁打を獲得すると共に、満票でアメリカンリーグ新人王に選出された。

オークランド・アスレチックス時代
(1989年)

1996年から1999年まで4シーズン連続で50本塁打以上を放つ。その打球速度の凄まじさは、木田優夫曰く「マグワイアが打席に入るたびに、危険なので三塁コーチがフェンス際まで避難するほどだった」という。1996年には52本塁打で自身2度目なる最多本塁打を獲得し、アスレチックス時代はチームメートのホセ・カンセコと共に本塁打を量産し、バッシュ・ブラザーズと呼ばれた。

カージナルス時代

1997年シーズン途中の7月31日にセントルイス・カージナルスへ移籍する。このシーズンはアスレチックスで34本塁打、カージナルスでは24本塁打の計58本塁打を放った。アメリカンリーグではケン・グリフィー・ジュニアの56本塁打、ナショナルリーグではラリー・ウォーカーの49本塁打がそれぞれ最多であり、マグワイアの同シーズンの本塁打数は彼らを上回りMLBの全選手で最多ということになるが、両リーグを跨いで移籍しているため、2年連続となる最多本塁打のタイトル獲得とはならなかった。

1998年にはサミー・ソーサとのシーズン最多本塁打記録争いを演じ、最終的に1シーズン70本の当時の新記録を達成し、ソーサと共にスポーツ・イラストレイテッド誌の「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」に選出される[5]。同年にロジャー・マリスのシーズン61本塁打の記録を破る試合にマリスの一族を招待した。この年の70号本塁打ボールは翌年1月のオークションにて3,054,000ドルで販売され、オークションにおける史上最も高額な野球に関する取引としてギネス世界記録に認定された[6]

当時のマグワイアはランディー・バーンズ金メダルを剥奪されたアンドロステンジオンを使用していたが、MLBでは禁止されていなかったことと野球メディアもマグワイアを擁護する論調を展開したことから、記録に疑問を持つ人は少なかった。しかし道義的に良くないと追及されたため、翌年から薬物をやめた。チームメートだったホセ・カンセコはその著書『禁断の肉体改造』の中でマグワイアは本当は、既に当時から道義的に使用を問題視されていたアナボリックステロイドを使用しており、その隠蔽としてのリークであったと指摘している。

前後を主にレイ・ランクフォードブライアン・ジョーダンが固めた。

セントルイス・カージナルス時代
(2001年)

1999年も65本塁打を放ち、2年連続4度目となる最多本塁打を獲得した。しかし2000年以降は右膝痛に苦しみ、同年オフに手術した[7]2001年3月、翌2002年から2年総額3000万ドル(当時のレートで約38億円)の契約を結ぶことで合意したが、同年は97試合に出場して打率.187、56安打、29本塁打の成績に終わり、11月11日に引退を表明した[7]。ただし最後の2年も100に満たない出場試合数ながらも、30本前後の本塁打を放った。引退表明直後の2001年オフにNPB中日ドラゴンズが新外国人候補としてマグワイア[7]アンドレス・ガララーガ、カンセコといったMLBの長距離打者をリストアップしていたが[8][9]、彼らの獲得は実現しなかった[10]

引退後

2005年3月のメジャーリーグベースボールのドーピング問題で米議会で証人喚問された際、薬物使用を問われ、「過去の自分の行為は現在のスキャンダルとは無関係なのでお答えできません」と涙まじりに議員に懇願した。法律上は当時の薬物疑惑は偽証罪に問われるかどうかの問題であるため黙秘権を行使すればバリー・ボンズのように法律上起訴されてしまうことはない。

しかしながら、ここで黙秘したことで1990年代後半の本塁打量産はドーピングによるものであったことが世間一般の見方では確実視されてしまうことになる。ドーピングが大きな問題になる前は、殿堂入り投票で資格を得る2007年に初年度で殿堂入りすると見られていたが、この影響で評価は急落した。得票率は最高でも23.7%に留まり、2016年には10年の投票対象期間を終えて殿堂入り資格を失った[11]。マグワイア自身は、殿堂入りに関して「私には入所する資格がない」「私はまちがったことをした。一生、罪を背負って生きていくしかない」とも語っていた[12]

セントルイス・カージナルスでのコーチ時代
(2011年6月29日)

2010年1月12日、古巣カージナルスの打撃コーチ就任するにあたり「愚かな過ちだった。絶対にステロイドに手を出さなければよかったし、心から謝罪する。使わずに好成績の年もあれば使っても駄目な年もあったが、ともかくやるべきではなかった」と、ステロイドを使用していたと認める声明を出した。声明によると1989年のシーズンオフから使用を始め、1993年に故障してからは本塁打記録を更新した1998年シーズンを含めて早期回復と再発防止を目的にステロイドを使用したとされ、インタビューでは記録目的ではないと答えている。

ロサンゼルス・ドジャースでのコーチ時代
(2013年4月20日)

2012年11月7日、ロサンゼルス・ドジャースの打撃コーチに就任した。2014年ドジャースのチーム打率をリーグ全体2位に改善するなど貢献[13]。2年連続地区優勝を後押しした。

2016年から2018年まではサンディエゴ・パドレスでベンチコーチを務めた[14]

人物

国際遠征試合には否定的で、日米野球にも一度も参加しなかった。理由は「航空機などの事故にあって貴重な戦力を失ってしまったらどうするのだ」というものだった(ただし、大学時代に日米大学野球選手権大会で来日して出場の経験あり。また、引退後にはドジャースのコーチとしてMLB2014年シーズンのオーストラリアでの開幕戦に帯同していた)。

カージナルス時代の晩年にアルバート・プホルスの才能を見抜いたことでも知られる。2001年のスプリング・トレーニングでプホルスを見たマグワイアは監督のトニー・ラルーサに対して「彼を一刻も早く昇格させるべき」と進言した。当時のプホルスは1年目にして球団最優秀マイナーリーグ選手に選出されてこそいたが、MLB昇格は時期尚早と見られていた。球団幹部ももう1年AAA級で育成してからの昇格を検討していたが、マグワイアの強い推薦とオープン戦の好成績もあってMLB昇格を果たした。
この年プホルスは主に外野手兼三塁手としてほぼ全試合(欠場は1試合のみ)に出場し、打率.329、37本塁打、130打点を記録して満票でルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出された。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 OAK 18 58 53 10 10 1 0 3 20 9 0 1 0 0 4 0 1 18 0 .189 .259 .377 .636
1987 151 641 557 97 161 28 4 49 344 118 1 1 0 8 71 8 5 131 6 .289 .370 .618 .987
1988 155 635 550 87 143 22 1 32 263 99 0 0 1 4 76 4 4 117 15 .260 .352 .478 .830
1989 143 587 490 74 113 17 0 33 229 95 1 1 0 11 83 5 3 94 23 .231 .339 .467 .806
1990 156 650 523 87 123 16 0 39 256 108 2 1 1 9 110 9 7 116 13 .235 .370 .489 .859
1991 154 585 483 62 97 22 0 22 185 75 2 1 1 5 93 3 3 116 13 .201 .330 .383 .714
1992 139 571 467 87 125 22 0 42 273 104 0 1 0 9 90 12 5 105 10 .268 .385 .585 .970
1993 27 107 84 16 28 6 0 9 61 24 0 1 0 1 21 5 1 19 0 .333 .467 .726 1.193
1994 47 172 135 26 34 3 0 9 64 25 0 0 0 0 37 3 0 40 3 .252 .413 .474 .887
1995 104 422 317 75 87 13 0 39 217 90 1 1 0 6 88 5 11 77 9 .274 .441 .685 1.125
1996 130 548 423 104 132 21 0 52 309 113 0 0 0 1 116 16 8 112 14 .312 .467 .730 1.198
1997 105 433 366 48 104 24 0 34 230 81 1 0 0 5 58 8 4 98 9 .284 .383 .628 1.012
STL 51 224 174 38 44 3 0 24 119 42 2 0 0 2 43 8 5 61 0 .253 .411 .684 1.095
'97計 156 657 540 86 148 27 0 58 349 123 3 0 0 7 101 16 9 159 9 .274 .393 .646 1.039
1998 155 681 509 130 152 21 0 70 383 147 1 0 0 4 162 28 6 155 8 .299 .470 .752 1.222
1999 153 661 521 118 145 21 1 65 363 147 0 0 0 5 133 21 2 141 12 .278 .424 .697 1.120
2000 89 321 236 60 72 8 0 32 176 73 1 0 0 2 76 12 7 78 5 .305 .483 .746 1.229
2001 97 364 299 48 56 4 0 29 147 64 0 0 0 6 56 3 3 118 7 .187 .316 .492 .808
MLB:16年 1874 7660 6187 1167 1626 252 6 583 3639 1414 12 8 3 78 1317 150 75 1596 147 .263 .394 .588 .982
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備


一塁(1B) 三塁(3B)
























1986 OAK - 16 10 20 6 1 .833
1987 145 1173 90 10 91 .992 8 2 11 3 0 .813
1988 154 1228 88 9 118 .993 -
1989 141 1170 114 6 122 .995 -
1990 154 1329 95 5 126 .997 -
1991 152 1191 101 4 120 .997 -
1992 139 1118 71 6 118 .995 -
1993 25 197 14 0 20 1.000 -
1994 40 307 18 4 26 .988 -
1995 91 775 64 12 65 .986 -
1996 109 913 60 10 118 .990 -
1997 101 884 60 6 88 .994 -
STL 50 439 34 1 40 .998 -
'97計 151 1323 94 7 128 .995 -
1998 151 1326 97 12 128 .992 -
1999 151 1180 80 13 119 .990 -
2000 70 535 23 1 49 .998 -
2001 90 686 33 4 60 .994 -
MLB 1763 14451 1042 103 1408 .993 24 12 31 9 1 .827
右翼守備


右翼(RF)












1987 OAK 3 1 0 0 0 1.000
1988 1 0 0 0 0 ----
MLB 4 1 0 0 0 1.000

タイトル

  • 本塁打王:4回(1987年、1996年、1998年 - 1999年)
  • 打点王:1回(1998年)

表彰

記録

背番号

  • 25(1986年 - 2001年、2010年 - 2012年、2014年 - 2018年)
  • 12(2013年)

代表歴

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “英語のIPA発音記号変換(アメリカ英語)”. tophonetics.com. 2020年2月13日閲覧。
  2. ^ “1981 DRAFT TRACKER” (英語). MLB.com. 2023年7月16日閲覧。
  3. ^ 梅田香子「スーパースター列伝19 マーク・マグワイア[元カージナルス]」『月刊メジャー・リーグ』2002年1月号、ベースボール・マガジン社、2001年、雑誌 08625-1、40頁。
  4. ^ “1984 DRAFT TRACKER” (英語). MLB.com. 2023年7月16日閲覧。
  5. ^ “大谷翔平が「コミッショナー特別表彰」「自分でいいのかな」「(来季へ)自信は持ってる」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2021年10月27日). https://www.daily.co.jp/mlb/2021/10/27/0014794824.shtml 2023年6月21日閲覧。 
  6. ^ “Most expensive baseball sold at auction” (英語). ギネス世界記録. 2014年3月6日閲覧。
  7. ^ a b c 外信担当デスク、鈴木遍理「竜の4番マグワイア浮上 メジャー歴代5位583発」『中日スポーツ中日新聞社、2001年12月11日。オリジナルの2002年4月15日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ 「中日 獲得候補にマグワイア」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2001年12月12日。オリジナルの2002年2月13日時点におけるアーカイブ。
  9. ^ 「中日がマグワイアを候補に/ガララーガ、カンセコも」『四国新聞』四国新聞社、2002年12月11日。2024年4月21日閲覧。オリジナルの2024年4月21日時点におけるアーカイブ。
  10. ^ 「第2のローズ探せ!石井編成担当を米大へ派遣」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年12月31日。オリジナルの2002年4月15日時点におけるアーカイブ。
  11. ^ “マグワイア氏、殿堂入り資格喪失 輝かしい実績も薬物使用が影響”. スポニチAnnex (2016年1月7日). 2020年4月5日閲覧。
  12. ^ 芝山幹郎. “ステロイドと殿堂。~野球の名誉を汚した男たち~(3/3ページ)”. Number Web. 2020年4月5日閲覧。
  13. ^ http://losangeles.dodgers.mlb.com/team/coach_staff_bio.jsp?c_id=la&coachorstaffid=118743
  14. ^ “Mark McGwire not returning as Padres' coach to spend time with family” (英語). ESPN (2018年10月24日). 2019年4月5日閲覧。
  15. ^ “Home Runs Single Season Leaders on Baseball Almanac”. www.baseball-almanac.com. 2021年7月11日閲覧。
  16. ^ “Rookies to lead their league in homers” (英語). MLB.com. 2021年7月11日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、マーク・マグワイアに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • McGwire.com!
 
業績
アメリカンリーグ新人王
1940年代
  • 49 ロイ・シーバース(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アメリカンリーグ本塁打王
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 捕手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
  • 指名打者
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手

太字は現役選手

1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
投  手
捕  手
内野手
外野手
 
ワールドシリーズ優勝
オークランド・アスレチックス 1989年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
02 トニー・フィリップス
04 カーネイ・ランスフォード
07 ウォルト・ワイス
09 マイク・ガイエゴ
12 ランス・ブランケンシップ
14 ストーム・デービス
19 ジーン・ネルソン
21 マイク・ムーア
24 リッキー・ヘンダーソン
25 マーク・マグワイア

28 スタン・ハビアー
33 ホセ・カンセコ
34 デーブ・スチュワートシリーズMVP
35 ボブ・ウェルチ
36 テリー・スタインバック
39 デーブ・パーカー
40 リック・ハニカット
42 デーブ・ヘンダーソン
43 デニス・エカーズリー
44 ケン・フェルプス
54 トッド・バーンズ

監督
10 トニー・ラルーサ

コーチ
05 アート・カッシュナー(ブルペン)
08 デーブ・マッケイ(一塁)
15 レネ・ラッチマン(三塁)
18 デーブ・ダンカン(投手)
45 マーブ・レッテンマンド(打撃)
46 トミー・レイノルズ(ベンチ)

セントルイス・カージナルス 2011年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
10 トニー・ラルーサ

コーチ
11 ホセ・オケンドー(三塁)
18 デーブ・ダンカン(投手)
25 マーク・マグワイア(打撃)
36 デレク・リリクイスト(ブルペン)
39 デーブ・マッケイ(一塁)
49 ジョー・ペティーニ(ベンチ)

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