ヤドヴィガ・ヤギェロンカ (1457-1502)

ヤドヴィガ・ヤギェロンカ
Jadwiga Jagiellonka

出生 (1457-09-21) 1457年9月21日
ポーランド王国クラクフ
死去 (1502-02-18) 1502年2月18日(44歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン公領、ブルクハウゼン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン公領、ブルクハウゼン、ライテンハスラッハ修道院
配偶者 バイエルン=ランツフート公ゲオルク
子女 ルートヴィヒ
ループレヒト
エリーザベト
マルガレーテ
ヴォルフガング
父親 ポーランド王・リトアニア大公カジミェシュ4世
母親 エリーザベト・フォン・ハプスブルク
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ヤドヴィガ・ヤギェロンカJadwiga Jagiellonka, 1457年9月21日 - 1502年2月18日)は、バイエルン=ランツフート公ゲオルクの妃。ドイツ語名はヘートヴィヒ・フォン・ポーレンHedwig von Polen)。

生涯

ポーランド王・リトアニア大公カジミェシュ4世と、その妃でアルブレヒト系ハプスブルク家出身のローマ王アルブレヒト2世の娘であるエリーザベトの間の第2子、長女として生まれた。1475年11月14日ランツフートでゲオルクと結婚した。このときの結婚式は非常に盛大だったため、後世の人々にまで語り継がれ、2人の結婚式を模した「ランツフートの結婚式」と呼ばれる祝祭が定着した。

ヤドヴィガは夫との間に3男2女をもうけたが、1502年にヤドヴィガが、翌1503年にゲオルクが死去した時、生き残っていたのは娘2人だけだった。このためバイエルン=ランツフート公家は断絶し、ランツフート継承戦争と呼ばれる相続争いが起きた。

  • ルートヴィヒ(1476年 - 1496年)
  • ループレヒト(1477年)
  • エリーザベト(1478年 - 1504年) - 1499年、プファルツ選帝侯フィリップの3男ループレヒトと結婚、プファルツ選帝侯オットー・ハインリヒの母。
  • マルガレーテ(1480年 - 1531年)
  • ヴォルフガング(1482年)
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