ルイ・ステール

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  • ルイ・ステー
ルイ・ステール
Louis Soutter
誕生日 1871年6月4日
出生地 スイス、モルジュ
死没年 1941年2月20日
死没地 スイス、Ballaigues
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ルイ・ステール(Louis Soutter, 1871年6月4日 - 1941年2月20日)は、スイス画家[1][2]、ヴァイオリニスト。

略歴

モルジュに生まれる。ローザンヌ大学工学を学ぶも、途中でジュネーヴ大学でルイ・ヴィオリエに建築に鞍替えする。またブリュッセルに遊学してウジェーヌ・イザイヴァイオリンを学び、帰国後は絵画を学び始め、パリに留学してジャン=ポール・ローランスジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタンらの薫陶を受けた。その後、アメリカから留学していた女性と知り合って結婚し、1895年に渡米してコロラド大学の美術学部の学部長に就任した。1903年に離婚してスイスに戻るも、翌年に父親が亡くなったことで精神的に不安定になった。1905年からローザンヌオーケストラヴァイオリン奏者として活動をはじめ、1918年にはスイス・ロマンド管弦楽団コンサートマスターとして参加した。しかし、指揮者エルネスト・アンセルメとそりが合わずにすぐに退団し、映画館やカフェでヴァイオリンを演奏するようになった。かねてよりの精神の不安定から浪費癖のついていたステールは1922年には破産し、高齢者施設に収容されることとなった。生活費捻出のためにヴァイオリンを手放し、以後は施設内で絵を描くようになった。1927年から母方のいとこであるル・コルビュジエの支援を受ける。1937年からは動脈硬化による指の麻痺により、絵筆ではなく指を絵筆代わりにして絵を描いた。

バレーグにて没。

作品

  • 惑星からアナゴリア星へ(1938年)
    惑星からアナゴリア星へ(1938年)
  • 百合と聖女
    百合と聖女

出典

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  1. ^ newsdigest.fr
  2. ^ [1]
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