ヴィットーリオ・アメデーオ2世

ヴィットーリオ・アメデーオ2世
Vittorio Amedeo II
サヴォイア公
サルデーニャ国王
シチリア国王
在位 シチリア王
1714年9月22日 - 1720年2月17日
サルデーニャ王
1720年2月17日 - 1730年9月3日
別号 サヴォイア公

出生 (1666-05-14) 1666年5月14日
サルデーニャ王国 サヴォイア公国 トリノ
死去 (1732-02-20) 1732年2月20日(65歳没)
サルデーニャ王国 サルデーニャ王国 リーヴォリ
王太子 カルロ・エマヌエーレ3世
配偶者 アンナ・マリーア・ドルレアンス
子女 一覧参照
父親 カルロ・エマヌエーレ2世
母親 マリーア・ジョヴァンナ・バッティスタ・ディ・サヴォイア
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ヴィットーリオ・アメデーオ2世イタリア語: Vittorio Amedeo II1666年5月14日 - 1732年10月30日)は、サヴォイア公(在位:1675年 - 1730年)、後にシチリア王(在位:1714年 - 1720年)、次いでサルデーニャ(ピエモンテ)王(在位:1720年 - 1730年)。カルロ・エマヌエーレ2世サヴォイア家分家サヴォワ=ヌムール家出身のマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタ・ディ・サヴォイアの息子。

生涯

王子の頃は病弱であり、彼の健康を気遣って作られたパンがグリッシーニであった、という伝承がある。

1675年に父の死により公位を継いだが、18歳で成人するまでは母マリーアが摂政を務めた。マリーアはフランス寄りの政策を採り、1684年にヴィットーリオ・アメデーオ2世とフランス王ルイ14世の姪(オルレアン公フィリップ1世の娘)で又従妹のアンヌ・マリーと結婚させた。同年に親政を宣言、プロテスタント弾圧政策を進めるルイ14世に同調し、1686年にフランス国境に潜むヴァルド派スイスへ退去させた。しかし、1690年にワルドー派の帰国を認めた上、アウクスブルク同盟に加盟してルイ14世から離れていった。

大同盟戦争では反フランス側に立ってハプスブルク家と組み、又従弟プリンツ・オイゲンと共にイタリアでフランス軍と対峙したが、1690年シュタファルダの戦いでフランスの将軍ニコラ・カティナに敗北、1693年マルサリーアの戦いでも敗れるとフランスと秘密交渉に入り、1696年にトリノ条約でフランスと和睦、同盟から離脱した。フランスから軍事基地となっていたピネローロカザーレ・モンフェッラートを返還させ、合わせて娘のマリーア・アデライデをルイ14世の孫のブルゴーニュ公ルイに嫁がせた。もう1人の娘マリーア・ルイーザもブルゴーニュ公の弟で後のスペイン王フェリペ5世に嫁いでいる。

スペイン継承戦争では初めフランス側だったが、1703年に密かに同盟に連絡を取っていたことがフランスに発覚すると同盟に復帰、1706年にオイゲンと共に包囲されたトリノを解放した(トリノの戦い)。以後は終戦までオーストリアの将軍ヴィリッヒ・フォン・ダウンと共にサヴォイアのフランス軍と交戦、スペイン継承戦争終結後、ユトレヒト条約により1713年シチリア王国を手に入れシチリア王となったが、1720年には四国同盟戦争の際に結ばれたハーグ条約により神聖ローマ帝国のカール6世にシチリア王国を割譲し、その代償として神聖ローマ帝国からサルデーニャ島を割譲された。加えて神聖ローマ帝国からサルデーニャ王の称号を認められ、サルデーニャ王国を成立させた。

治世中はピエモンテを中心とする政治改革に邁進、貴族の領土を没収して中層階級に分け与え、中央から派遣する代官の権限を強化して絶対君主制を確立した。また、トリノの都市改造とトリノ大学の充実に力を尽くし、大学に1万冊の図書を寄贈、イエズス会を教育から排除して教会の力も弱めた。

1730年に退位して息子のカルロ・エマヌエーレ3世に譲り、2年後の1732年に死去した。

子女

参考文献

爵位・家督
先代
カルロ・エマヌエーレ2世
サヴォイア公
1675年 - 1713年
次代
サルデーニャ王位に統合
爵位・家督
先代
フィリッポ4世
シチリア国王
1713年 - 1720年
次代
カルロ4世
爵位・家督
先代
カルロ3世
サルデーニャ国王
1720年 - 1730年
次代
カルロ・エマヌエーレ3世
爵位・家督
先代
フィリッポ4世
リンブルフ公
1700年 - 1706年
次代
カルロ4世
シチリア王国旗シチリア国王(1714年 - 1720年)シチリア王国章
オートヴィル朝
ホーエンシュタウフェン朝
アンジュー朝
  • カルロ1世1266-1282
アラゴン朝
  • ピエトロ1世1282-1285
  • ジャコモ1世1285-1296
  • フェデリーコ2世1296-1337
  • ピエトロ2世1337-1342
  • ルドヴィーコ1342-1355
  • フェデリーコ3世1355-1377
  • マリア1377-1401
  • マルティーノ1世1390-1409
  • マルティーノ2世1409-1410
トラスタマラ朝
  • フェルディナンド1世1412-1416
  • アルフォンソ1世1416-1458
  • ジョヴァンニ1世1458-1479
  • フェルディナンド2世1479-1516
スペイン・ハプスブルク朝
  • カルロ2世1516-1556
  • フィリッポ1世1556-1598
  • フィリッポ2世1598-1621
  • フィリッポ3世1621-1665
  • カルロ3世1665-1700
ブルボン朝
  • フィリッポ4世1700-1714
サヴォイア朝
  • ヴィットーリオ・アメデーオ1714-1720
オーストリア・ハプスブルク朝
  • カルロ4世1720-1734
ブルボン朝
サルデーニャ王国旗サルデーニャ国王(1720年 - 1730年)サルデーニャ王国章
アルボレア家
  • バリソーネ1世1164-1172
ホーヘンスタウフェン家
  • エンツォ1世1238-1272
アラゴン家
  • ジャコモ1世1323-1327
  • アルフォンソ1世1327-1336
  • ピエトロ1世1336-1387
  • ジョヴァンニ1世1387-1396
  • マルティーノ1世1396-1410
トラスタマラ家(アラゴン系)
  • フェルディナンド1世1412-1416
  • アルフォンソ2世1416-1458
  • ジョヴァンニ2世1458-1479
  • フェルディナンド2世1479-1516
  • ジョヴァンナ1世1504-1555
スペイン・ハプスブルク家
  • カルロ1世1516-1554
  • フィリッポ1世1554-1598
  • フィリッポ2世1598-1621
  • フィリッポ3世1621-1665
  • カルロ2世1665-1700
スペイン・ブルボン家
  • フィリッポ4世1700-1713
オーストリア・ハプスブルク家
  • カルロ3世1713-1720
サヴォイア(=ブレッセ)家
サヴォイア(=カリニャーノ)家
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