中田宗男

中田 宗男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府和泉市
生年月日 (1957-01-08) 1957年1月8日(67歳)
身長
体重
178 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 ドラフト外
初出場 1979年10月21日
最終出場 1982年8月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

中田 宗男(なかだ むねお、1957年1月8日 - )は、大阪府和泉市出身の元プロ野球選手投手)。引退後は中日ドラゴンズ編成部アマスカウトアドバイザーなどを務めた[1]

来歴

上宮高では田中秀昌と同期。卒業後は日本体育大学に進学。首都大学野球リーグでは1975年秋季リーグで優勝を経験するが、その後は東海大に抑えられ優勝には届かなかった。リーグ通算44試合登板し24勝10敗、防御率1.80、185奪三振。2年生の時に春季8勝、秋季7勝を挙げて2季連続ベストナインを受賞している。

1978年オフに、ドラフト外にて中日ドラゴンズに入団。しかし、公式戦登板は5シーズンでわずか7試合と期待に応えることができなかった。1983年オフに現役を引退。

1984年から中日スカウトとして関西地区担当などを歴任し、立浪和義今中慎二種田仁福留孝介岡田俊哉高橋周平などの入団に貢献している。2003年からはスカウト部門トップの編成部長に就任。2013年4月からは編成担当補佐も兼務したが、同年10月からは再びスカウト部長に専任している[2]

2017年12月28日2018年1月1日付で行われる組織改編が発表され、編成部とスカウト部が統合されることとなり、これに伴いアマチュア部門を統括するアマスカウトディレクターとなることが発表された[3]

また、プロ12球団のアマスカウトで構成される親睦団体「スカウト会」の会長も務めた[4]

2022年1月にドラゴンズを退団[5]。2023年現在は、中日スポーツ紙上でスカウト時代を振り返るコラム「中田宗男のスカウト虚々実々」を連載している。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1979 中日 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 2.0 1 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.50
1980 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 2.1 4 2 1 0 0 1 0 0 3 3 13.50 2.14
1982 3 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 11 1.2 4 0 2 1 0 0 0 0 3 3 13.50 3.60
通算:3年 7 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 29 6.0 9 2 3 1 0 3 0 0 6 6 9.00 2.00

記録

背番号

  • 33 (1979年 - 1983年)

著書

  • 星野と落合のドラフト戦略(2023年10月5日、カンゼン)ISBN 978-4862556998

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2021年1月24日). 2021年8月11日閲覧。
  2. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21
  3. ^ “中日球団社長「人気回復が大事」 巻き返しへスカウト部と編成部統合― スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2017年12月28日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/12/28/kiji/20171228s00001173044000c.html 2018年1月4日閲覧。 
  4. ^ “キャリア37年のスカウトでも“1試合も見ず指名”はたった1人…夏の甲子園中止で球史から消える逸材たち”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2020年5月11日). https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/202005/CK2020051102100049.html 2020年5月11日閲覧。 
  5. ^ 逆指名争い敗れたのにスカウトはほくそ笑んだ…中日の2000年ドラフト “天才右腕”獲得までのウラ事情【中田宗男のスカウト虚々】 - 中日スポーツ・2023年1月20日

関連項目