四分暦

四分暦(しぶんれき)は、

  1. 中国暦のなかで太陽年の長さを365と4分の1日とする四分法にもとづく暦法のこと。古六暦・戦国四分暦・後漢四分暦などがこれに当たる。
  2. 中国暦の一つで、後漢・三国時代に施行されていた暦法。以下詳説する。

四分暦(しぶんれき)は、後漢の章帝の元和二年(85年)より施行された太陰太陽暦による暦法。他の四分暦と区別するとき、特に後漢四分暦(ごかんしぶんれき)といわれる。編訢(へんきん)や李梵によって編纂された。後漢では末年の延康元年(220年)までの136年間、三国時代、魏では17年、呉では1年、では43年間、使用された。

19年7閏月章法を採用し、1太陽年365+1/4(=val|365.25)日、1朔望月29+499/940(≒29.53085[1])日とする。

脚注

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  1. ^ “29+499/940”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
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紀元前→後漢 古六暦
?-?
顓頊暦
?-BC105
太初暦
BC104-4
三統暦
5-84
後漢→魏 四分暦
85-236
景初暦
237-444
魏→南朝 元嘉暦
445-509
大明暦
510-589
 
四分暦
222
乾象暦
223-280
北朝 景初暦
398-451
玄始暦
412-522
正光暦
523-565
興和暦
540-550
天保暦
551-577
天和暦
566-578
四分暦
221-263
 
北朝→隋 大象暦
579-583
開皇暦
584-596
大業暦
597-618
戊寅元暦
619-664
麟徳暦
665-728
大衍暦
729-761
五紀暦
762-783
正元暦
784-806
観象暦
807-821
宣明暦
822-892
 
唐→後周 崇玄暦
893-955
後周、北宋、南宋 欽天暦
956-963
応天暦
963-981
乾元暦
981-1001
儀天暦
1001-1023
崇天暦
1024-1065
明天暦
1065-1068
崇天暦
1068-1075
奉元暦
1075-1093
観天暦
1094-1102
占天暦
1103-1105
紀元暦
1106-1135
後晋、遼 調元暦
893-943?
961-993
大明暦
994-1125
 
南宋 統元暦
1136-1167
乾道暦
1168-1176
淳熙暦
1177-1190
会元暦
1191-1198
統天暦
1199-1207
開禧暦
1208-1251
淳祐暦
1252
会天暦
1253-1270
成天暦
1271-1276
元以降 重修大明暦
1182-1280
授時暦
1281-1644
時憲暦
1645-1911
グレゴリオ暦
1912-
大明暦
1137-1181