明遍
明遍(みょうへん、康治元年(1142年)- 貞応3年6月16日(1224年7月4日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧[1]。父は藤原通憲(信西)。号は空阿弥陀仏(「法性寺の空阿弥陀仏」とは別人。)。東大寺で三論宗義を学び、後に遁世僧となり、高野山に入り蓮華三昧院をひらく。法然に帰依し浄土教に入ったともいう[1]。
略歴
平治元年(1159年)、18歳の時平治の乱にあい、父は斬首され、自身も越後国に配流となる。赦免された後東大寺で三論宗を学んだ。50歳を過ぎてから遁世して高野山に入山し、蓮花三昧院を開創した。法然門下となり専修念仏に帰依した時期については不明である。著作として「往生論五念門略作法」などがあるが現在は残されていない。
脚注
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注釈
出典
- ^ a b 「明遍 みょうへん」 - デジタル版 日本人名大辞典+Plus
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