李宅根

李 宅根
Lee Taek-Keun
坡州チャレンジャーズ 打撃コーディネーター
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 釜山広域市
生年月日 (1980-07-10) 1980年7月10日(43歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1999年 2次ドラフト3巡目(2003年入団)
初出場 2003年4月2日
最終出場 2020年6月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

  • 現代ユニコーンズ (2003 - 2007)
  • ウリ・ヒーローズ
    ヒーローズ (2008 - 2009)
  • LGツインズ (2010 - 2011)
  • ネクセン・ヒーローズ
    キウム・ヒーローズ (2012 - 2020)

コーチ歴

  • 坡州チャレンジャーズ (2022 - )
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2009年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
大韓民国の旗 韓国
オリンピック
2008 野球
ワールド・ベースボール・クラシック
2009 野球

李 宅根(イ・テックン、ハングル이택근1980年7月10日 - )は、大韓民国釜山広域市出身の元プロ野球選手外野手)。2008年北京オリンピック 野球 金メダリスト。

経歴

アマチュア時代

慶南商業高校時代から将来性・即戦力ともに評価が高く、高校生捕手としてスカウトから目をつけられていたが、高麗大学校へ進学。1年生時にはオーストラリアで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップに出場。 2001年IBAFワールドカップ台湾主催)や翌2002年には大学野球世界一を決める世界大学野球選手権大会イタリア主催)にも代表に選出された。

同年の2次ドラフトで指名され、現代ユニコーンズに入団した。

第一次ネクセン時代

1年目からユニコーンズにとって貴重な捕手外野との控えとして、101試合出場、打率.278など堅実な働きを見せた。2、3年目は試合出場は減ったが、それでも3年目は規定打席未満でありながら、.331の高打率を残す。

入団時のポジションは捕手だったが、チームは絶対的な正捕手の金東洙がいて、レギュラー取りのチャンスを得ることはできなかった。元々、打力と俊足があり、主砲の沈正洙がFAで三星ライオンズに移籍したため、2006年より外野手にコンバート。シーズンはライトに定着し、初めて規定打席に到達した。リーグ2位の.322の打率を記録するとともに、ゴールデングラブ賞を初受賞。

2008年4月24日起亜戦で7打席連続(4安打・3四球)で出塁しプロ野球最多出塁記録を樹立。ムラが少ない打撃技術を買われて、北京オリンピック野球韓国代表に抜擢された。

代表チームでは外野の控えメンバーとして主に代走として起用される場面が多かったが、初戦の対アメリカ合衆国戦で9回の裏、代走で出場。相手投手の牽制悪送球を誘い、三塁まで進んだ後、李鍾旭の外野フライでサヨナラの得点を挙げた。

2009年第2回WBC韓国代表にも抜擢された。大会中は、代走や守備固めとしての起用が多くこれといった活躍はなかった。

シーズンは4年連続3割を残し、自身初となる40盗塁以上を記録し、さらなる成長を遂げた。

LG時代

同年12月、資金難のソウル・ヒーローズは25億ウォンに無名選手の朴永福・姜秉友をつけてもらい、彼をLGツインズへと交換トレードをすることにした。しかしヒーローズのKBOへの加入金をめぐる問題などもあり、一時このトレードの承認は留保されたが、加入金問題の解決もあって同月末移籍が承認された。

2010年は、チームの主力の李大炯が自身と同じセンターであったため、DHで出場する方針となった。シーズン開幕後間もなく腰痛で戦線を離脱。5月25日に復帰し、DHからレフトファーストで起用されることに。不慣れな守備位置で打率も2割序盤台と攻守とも苦戦。しかし夏場以降は復調し、6年連続3割をマーク。

2011年も故障で苦しみ、出場試合数が減少した。そのためオフにFA(フリーエージェント)を行使し、11月20日に古巣ネクセンヒーローズと契約期間4年の大型契約を結び復帰した。彼の補償選手には尹智雄が選ばれた。

第二次ネクセン時代、そしてキウムでの引退

2012年はLG時代から続く故障がシーズン後半に再発し、3年連続で出場試合数が100を下回った。

2013年は4年ぶりに100試合以上に出場し、二塁打31本はリーグ最多と活躍した。

2014年2015年も主力野手として活躍。

2016年4月12日、同年より新しくネクセンの本拠地となった高尺スカイドームでの韓国プロ野球公式戦初本塁打を記録した。

2017年5月18日、ハンファ・イーグルス戦で鄭ウラムから韓国プロ野球史上初となる代打逆転サヨナラ満塁ホームランを記録した(代打サヨナラ満塁ホームランは史上2人目)。

2015年に当時のチームの後輩だった文ウラムにバットで暴力を振るったことが3年後に暴露され、2018年12月19日、KBOの賞罰委員会でレギュラーシーズンの36試合出場停止の処分(2019年に適用)が課された。さらに文より起訴された。

2019年はこの件もありプロ入り後初めて一軍出場がなかった。同年9月末に暴力事件の判決が出され、裁判所から罰金300万ウォンを宣告された。控訴を断念して刑が確定した。

2020年は開幕エントリーに入ったが、20試合の出場で打率1割9分3厘(57打数11安打)7打点の記録にとどまり、シーズン序盤に得た機会を生かせなかった。結局は6月13日に二軍へ下がりそれ以降は二軍の試合にも出場しなかった。

2020年11月12日、球団より2021年の再契約不可が通知され[1]、2020年で現役を引退した。

現役引退後

2024年よりSBSスポーツで野球解説を務める[2]

プレースタイル・人物

敵投手の配球と捕手のリードを読んで狙い撃ちをする打撃スタイルである。

現代ユニコーンズ解散のあと、2008年に創設されたウリ・ヒーローズに保有権が継承された。メインスポンサーだったウリタンベの撤退によりヒーローズ球団では主力選手への大幅な年俸削減が続いたが、彼はその被害を受けていない数少ない選手の一人であった。しかし2009年12月、LGツインズへ金銭と無名の2軍選手との引き換えにトレードされた。だが2011年オフ、FA選手となりネクセン・ヒーローズに復帰した。

LG時代の応援歌は尹耀渉と李天雄が継承した。

詳細情報

年度別打撃成績







































O
P
S
2003 現代 101 212 26 59 11 0 4 17 2 3 24 35 3 5 .278 .342 .387 .729
2004 41 57 9 12 1 0 2 8 0 2 7 11 1 1 .211 .297 .333 .630
2005 71 139 20 46 9 0 2 14 2 1 27 22 1 4 .331 .432 .439 .871
2006 118 419 58 135 21 1 9 66 8 6 54 51 6 2 .322 .389 .446 .835
2007 116 438 74 137 15 1 11 56 6 1 50 41 10 5 .313 .378 .427 .805
2008 ウリ/ソウル 110 372 59 118 19 1 12 58 18 6 52 44 10 6 .317 .397 .470 .867
2009 123 456 84 142 26 0 15 66 43 8 77 59 13 5 .311 .378 .408 .875
2010 LG 91 337 66 102 17 1 14 50 14 6 42 55 10 6 .303 .377 .484 .861
2011 85 317 44 94 17 0 4 29 10 6 43 45 9 4 .297 .377 .388 .765
2012 ネクセン/キウム 94 345 54 95 20 1 8 55 13 8 34 30 10 1 .275 .340 .409 .749
2013 123 477 73 137 31 1 9 66 29 8 46 58 15 5 .287 .350 .413 .763
2014 122 441 87 135 32 1 21 91 11 8 51 43 10 5 .306 .386 .526 .912
2015 105 347 61 113 16 1 10 44 11 6 47 53 8 0 .326 .402 .464 .866
2016 127 398 64 123 19 1 8 65 7 4 56 56 11 1 .309 .389 .422 .811
2017 100 241 27 67 15 1 3 29 0 0 26 58 9 0 .278 .347 .386 .733
2018 103 308 40 95 25 1 4 52 1 0 41 44 14 2 .308 .385 .435 .820
2019 一軍出場なし
2020 20 57 5 11 5 0 0 7 0 0 7 21 1 0 .193 .281 .281 .562
通算:18年 1651 5361 851 1621 299 12 136 773 175 73 697 726 141 52 .302 .379 .439 .818
  • 太字はリーグ最高

背番号

  • 42 (2003年 - 2004年)
  • 31 (2005年 - 2007年)
  • 29 (2008年 - 2020年)

タイトル

  • ゴールデングラブ賞:2回(2006、2009年)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ https://www.heroesbaseball.co.kr/story/heroesNews/view.do?num=19841
  2. ^ https://sports.chosun.com/baseball/2024-01-25/202401250100168530022968

関連項目

外部リンク

  • 通算成績(韓国語)
韓国野球委員会ゴールデングラブ(外野手)
1980年代
  • 82 金城官,梁承寬,金準桓
  • 83 金鍾模,朴鍾勳,張孝祚
  • 84 張孝祚,金鍾模,洪文鍾
  • 85 李光殷,朴鍾勳,張孝祚
  • 86 張孝祚,李光殷,金鍾模
  • 87 李光殷,金鍾模,張孝祚
  • 88 李順喆,李康敦,李正勳
  • 89 金一權,李康敦,高元富
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
 
野球韓国代表
大韓民国の旗 野球大韓民国代表 - 2008 北京五輪 11位 金メダル
監督
コーチ
  • 76 趙啓顯(投手)
  • 77 金光洙(走塁)
  • 88 金杞泰(打撃)
投手
捕手
内野手
外野手
大韓民国の旗 野球韓国代表 - 2009 ワールド・ベースボール・クラシック 2 2位 準優勝
監督
コーチ
  • 80 金城漢(ヘッド)
  • 71 孫奕(コンディショニング)
  • 75 姜盛友(バッテリー)
  • 76 金敏浩(守備)
  • 77 柳仲逸(守備走塁)
  • 78 李順喆(打撃)
  • 79 楊相汶(投手)
投手
捕手
内野手
外野手
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