松住町架道橋

松住町架道橋
松住町架道橋
総武本線松住町架道橋(2011年7月)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都千代田区
建設 1931年8月 - 1932年6月
座標 北緯35度41分55.3秒 東経139度46分8.5秒 / 北緯35.698694度 東経139.769028度 / 35.698694; 139.769028
構造諸元
形式 複線下路ブレーストリブタイドアーチ
材料
8.50m(構中心間)
高さ 22.403m(アーチリブ最上部まで)
最大支間長 71.96m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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松住町架道橋(まつずみちょうかどうきょう)は、東京都千代田区外神田一丁目・二丁目にある鉄道橋(架道橋)である。東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線を通している。

概要

関東大震災震災復興事業として計画され、後に帝都に於ける失業救済事業[1]の一環で、1932年昭和7年)に総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸された際、松住町交差点(現在の昌平橋交差点)に架けられた橋梁である。東京市電路面電車)の軌道が交差する、交通量の多い交差点を斜めに跨ぐ必要があり、橋脚を建てると道路交通に甚だしい支障を与えることから、支間を大きく取ることのできるアーチ橋が採用された。また、アーチ部材(アーチリブ)にはトラス構造のブレーストリブアーチが用いられたほか、支点部同士を繋材(タイ)で結んでアーチに働く水平反力を橋桁で受けるタイドアーチ形式が日本の鉄道橋として初めて採用された[2]

御茶ノ水方面から松住町架道橋を潜ると電気街が広がっており、トラス構造による二重アーチが印象的で、色に塗られて目立つため、秋葉原ランドマーク的な要素も持ち合わせている。また、総武線隅田川橋梁・神田川橋梁とともにデザインも優れているため、日本の鉄道橋の象徴的存在にもなっている。

諸元

松住町架道橋(1932年8月撮影)
御茶ノ水方面から見た総武線神田川橋梁と松住町架道橋(2005年9月)

隣の橋

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 1930年(昭和5年)第59回帝国議会で鉄道改良工事の一つとして協賛を受け、1931年度(昭和6年度)事業として実施。
  2. ^ タイドアーチとして日本初の橋は、八ツ山橋(跨線橋鉄道院設計)。
  3. ^ 既設鋼鉄道橋(バックルプレート桁)の床組補修・補強工法(東日本旅客鉄道株式会社)、鉄道ACT研究会

参考文献

  • 川口利雄 「御茶水兩國間高架線工事槪要」『土木建築雑誌(CIVIL ENGINEERING & ARCHITECTURE)』第11卷第7號、シビル社、1932年7月、13-17頁
  • 平井喜久松 「御茶ノ水・兩國間高架線工事に就て」『土木学会誌』第18卷第8號、土木学会、1932年8月、845-856頁
  • 久保田敬一 「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』第22卷第2號、鉄道大臣官房研究所、1934年1月25日、49頁、附属図面(第34圖松住町架道橋)
  • 歴史的鋼橋: A2-004 松住町架道橋、土木学会

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、松住町架道橋に関連するカテゴリがあります。
  • きまぐれ旅写真館 松住町架道橋(JR総武線) - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
  • 景観シリーズ①「松住町架道橋」、一般社団法人 千代田区観光協会・まちブログ(神田・神保町・秋葉原周辺)
  • 鉄道遺産を訪ねて vol.9|歴史|トレたび - 一ノ戸川橋梁、松住町架道橋、隅田川橋梁、交通新聞社