魚目村

うおのめむら
魚目村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
魚目村北魚目村新魚目町
現在の自治体 新上五島町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南松浦郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,311
(国勢調査、1955年)
隣接自治体 南松浦郡有川町上五島町北魚目村
魚目村役場
所在地 長崎県南松浦郡魚目村榎津郷216番地
座標 北緯32度59分48秒 東経129度05分30秒 / 北緯32.99678度 東経129.09164度 / 32.99678; 129.09164座標: 北緯32度59分48秒 東経129度05分30秒 / 北緯32.99678度 東経129.09164度 / 32.99678; 129.09164
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魚目村(うおのめむら)は、長崎県南松浦郡にあった村。五島列島のうち中通島の北東部を主な村域とした。1956年(昭和31年)に北隣[1]に位置する北魚目村と合併し町制施行。新魚目町となった。
現在は新上五島町の一部となっている。

地理

五島列島のうち中通島の北東部と周辺島嶼部を主な村域とする。地内の有川湾は古くは魚目浦と称され、「魚目」の地名由来として、魚が群れをなして集まる様を表したと伝える[2]。また魚目江、あるいは魚の海が転じたとも云われる[2]

  • 島嶼:竹ノ子島
  • 山:番岳[3]、城山、門松山、浅子山
  • 港湾:有川湾、榎津港

沿革

明治初期の魚目村は浦桑郷・榎津郷・似首郷・小串郷・立串郷の5郷を村域としていたが、1889年(明治22年)に地方自治体として発足するまでの間に村域変更が行われている。まず明治4年平戸藩領小値賀[4]より中通島最北端に位置する津和崎郷を編入した。その後1885年(明治18年)に当村に属する6郷のうち小串・立串・津和崎の3郷を分離し、さらに青方村より分離した曽根郷を加えた4郷を合わせて北魚目村が分立した[5]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南松浦郡魚目村が単独村制にて発足。
  • 1954年(昭和29年) - 榎津郷および似首郷のそれぞれ一部を分離統合し、丸尾郷を新設。
  • 1956年(昭和31年)9月25日 - 北魚目村と合併し町制施行。新魚目町が発足し、魚目村は自治体として消滅。

地名

を行政区域とする。魚目村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

  • 浦桑郷
  • 榎津郷(えのきづ)
  • 似首郷(にたくび)
  • 丸尾郷 - 1954年、榎津郷・似首郷のそれぞれ一部より分立。

魚目村出身の著名人

脚注

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1956年9月25日
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 42 長崎県「魚目」
  3. ^ 番岳は幾つか存在する。当村の番岳は丸尾郷と上五島町(旧青方町)奈摩郷を跨ぐ山。
  4. ^ 現在の北松浦郡小値賀町に相当。
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「魚目村(近世)」

参考文献

関連項目

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