1951年の大阪タイガース

1951年の大阪タイガース
成績
セントラル・リーグ3位
61勝52敗3分 勝率.540[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 甲子園球場
球団組織
オーナー 野田誠三
経営母体 阪神電気鉄道
監督 松木謙治郎(選手兼任)
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1951年の大阪タイガース(1951ねんのおおさかタイガース)では、1951年の大阪タイガースの動向をまとめる。

この年の大阪タイガースは、2回目の松木謙治郎選手兼任監督体制の2年目のシーズンである。

概要

プロ野球再編問題の影響を受けながらも8球団中4位と、まずまずの成績でシーズンを終えたチームは阪神電気鉄道本社から野田誠三副社長を新オーナーに迎えて松木監督の2年目がスタート。投手陣では戦時中から長くチームを支えたベテラン藤村富美男の弟・藤村隆男梶岡忠義が引き続き二本柱を形成し、打撃陣でも金田正泰や藤村兄、後藤次男が健在だった。優勝候補の一角にあげられたものの、4月は最下位で終了。5月以降は巻き返し一時は巨人と2ゲーム差の2位に浮上し優勝が期待されたが夏場以降は黒星が先行すると巨人とのゲーム差が広がり、松竹の追い上げを振り切って3位に浮上したが優勝の巨人に20ゲーム差を付けられてシーズンを終えた。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 金田正泰
2 河西俊雄
3 後藤次男
4 渡辺博之
5 谷田比呂美
6 白坂長栄
7 櫟信平
8 西江一郎
9 内山清
1951年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 国鉄 0.0 松竹 1.5 名古屋 3.5 名古屋 11.0 名古屋 14.0 名古屋 18.0
3位 名古屋 2.5 大阪 2.0 松竹 7.5 松竹 14.5 松竹 19.0 大阪 20.5
4位 大洋 3.0 名古屋 4.5 大阪 9.0 大阪 15.0 大阪 19.5 松竹 27.0
5位 松竹 3.5 国鉄 大洋 12.5 大洋 18.5 国鉄 25.0 国鉄 31.5
6位 広島 4.0 大洋 4.5 国鉄 13.5 国鉄 18.5 大洋 25.5 大洋 37.0
7位 大阪 4.5 広島 7.5 広島 17.0 広島 25.0 広島 33.5 広島 41.0


1951年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 79 29 6 .731 ---
2位 名古屋ドラゴンズ 62 48 3 .564 18.0
3位 大阪タイガース 61 52 3 .540 20.5
4位 松竹ロビンス 53 57 5 .482 27.0
5位 国鉄スワローズ 46 59 2 .438 31.5
6位 大洋ホエールズ 40 64 4 .385 37.0
7位 広島カープ 32 64 3 .333 41.0

オールスターゲーム1951

詳細は「1951年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ ファン投票 監督推薦
松木謙治郎 藤村富美男 藤村隆男
徳網茂
白坂長栄

できごと

選手・スタッフ

 
大阪タイガース 1951
監督

30 松木謙治郎(選手兼任)

二軍監督
投手
捕手
内野手
外野手

表彰選手

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
後藤次男 最多安打 155本 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
藤村富美男 三塁手 5年連続5度目
金田正泰 外野手 4年ぶり2度目

出典

  1. ^ “年度別成績 1951年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月30日閲覧。
セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
優勝 読売ジャイアンツ 2位 名古屋ドラゴンズ 優勝 南海ホークス 2位 西鉄ライオンズ
3位 大阪タイガース 4位 松竹ロビンス 3位 毎日オリオンズ 4位 大映スターズ
5位 国鉄スワローズ 6位 大洋ホエールズ 5位 阪急ブレーブス 6位 東急フライヤーズ
7位 広島カープ 7位 近鉄パールス
 :日本一  :日本シリーズ出場
各年の阪神タイガース
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。
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