蠣崎広明

 
凡例
蠣崎広明
時代 江戸時代前期
生誕 慶安2年(1649年
死没 延宝9年8月9日(1681年9月20日
改名 千福丸(幼名)→広明
別名 小左衛門
主君 松前矩広
蝦夷松前藩
氏族 蠣崎氏→浅利氏→蠣崎氏
父母 蠣崎友広
浅利小右衛門蠣崎広隆
兄弟 清、広隆広明
広武、卯登
テンプレートを表示

蠣崎 広明(かきざき ひろあき)は、江戸時代前期の武士松前藩家老。松前藩守広系蠣崎家4代。

略歴

2代・蠣崎友広の子で3代・広隆の弟。

最初は浅利小右衛門の養子となっていたが、延宝2年(1674年)に兄・広隆が嗣子無く急死したため、広隆の養子となり跡を継いだ。延宝7年(1679年)に家老に任命されたが、延宝9年(1681年)8月9日に江戸で突然死した。享年33。

兄と同じく自殺したといわれている。広明も広隆と同じように若年だったため藩内で権力闘争が絶えず、江戸幕府も巡検使を派遣して藩政不良を追及する気配を見せるなどしていたため、宗家に累が及ぶのを恐れたとされる。跡を子・広武が継いだ。

系譜

  • 父:蠣崎友広(1598-1658)
  • 母:不詳
  • 養父:浅利小右衛門、蠣崎広隆(1643-1674)
  • 室:不詳
    • 男子:蠣崎広武(1679-1716)
    • 女子:卯登 - 松前広孝室

参考文献

丸に割菱紋守広系蠣崎氏4代当主(1674年 - 1681年)
宗家

季繁 - 信広 - 光広 - 義広 - 季広 - 慶広 - 公広 - 氏広 - 高広 - 矩広 - 邦広 - 資広 - 道広 - 章広 - 良広 - 昌広 - 崇広 - 徳広 - 修広 - 勝広 - 正広 - 之広 - 孝広 -

分家・支流

崇行院松前家

隆広 - 靖広 - 宣広 - 慶広 - 賀広 -

松川松前家

安広 - 広国 - 為広 - 広雄 - 広高 - 脩広 - 広義 - 広文 - 広憲 - 広胖 - 広致 - 広道 - 賢吾 -

泰広系

泰広 - 嘉広 - 勝広 - 端広 - 誉広 - 忠広 - 幸広 -

正広系

正広 - 貞広 - 利広 - 広林 - 広久 - 広賢 - 広命 - 広匡 - 広甫 - 広為 - 熊太郎 -

守広系

守広 - 友広 - 広隆 - 広明 - 広武 - 広栄 - 広重 - 広房 - 広常 - 右狩 - 守道 - 広鄰 -