小松礼雄
小松 礼雄 こまつ あやお | |
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生誕 | (1976-01-28) 1976年1月28日(48歳) 日本・東京都[1] |
教育 | ラフバラー大学・大学院 |
配偶者 | 既婚 |
親 | 小松雄一郎(実父) |
業績 | |
専門分野 |
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雇用者 |
小松 礼雄(こまつ あやお、1976年1月28日 - )は、日本の自動車技術者、博士[2]。東京都出身。イギリス在住。
主にモータースポーツの分野にて活動し、F1チーム「B・A・R」「ルノー」「ロータス」の技術部門を歴任。2016年以降は「ハースF1チーム」の要職を担い、2024年から同チーム代表を務める。
略歴
学生時代
父親はベートーヴェン研究家の小松雄一郎[3]。中学時代は「暗記ばかりで物事の本質を教えない」と教師に反発し、中学3年時には「体育以外は自分で勉強する」として図書館に通う毎日だった[3]。
自称「文系出身のエンジニア」で、高校時代は「数学が苦手で偏差値30台だった」「英語もほとんど話せなかった」という[4]。しかしフォーミュラ1(F1)チームのエンジニアになりたいという思いから単身渡英し、英会話学校やウォーリック大学の大学入学予備コース等を経て、ラフバラー大学に入学。同大学では自動車工学を専攻し、同専攻の学生の中で2位の成績で1999年に卒業する[4]。大学時代には、ロータス・エンジニアリング(ロータス・カーズ)に実習生として所属した。この頃にレーシングドライバー佐藤琢磨と知己になっている[5]。
モータースポーツ進出
その後は大学院に進学し、車両ダイナミクスと制御の博士号を取得[2]。学業の傍ら、イギリスF3にカーリン・モータースポーツから参戦した佐藤琢磨のメカニック・エンジニアとして携わる[6]。佐藤の推薦でホンダ・レーシング・ディベロップメントの英国支部(HRD UK)に入社し、2003年からF1チームB・A・Rに出向して後年にタイヤエンジニアを務めた[7]。
タイヤマネジメント等の技術を買われ、2006年にルノーF1へ移籍。2011年にはヴィタリー・ペトロフ担当のレースエンジニアとなり、2012年からはロマン・グロージャン担当のトラックエンジニアとなる。
ハースF1チーム
2016年、グロージャンのハースF1チーム移籍に伴い、自身も同行して創設から加入。同チームのチーフレースエンジニアとして、レース現場における技術責任者を務める[8]。2019年には技術部長(ディレクター オブ エンジニアリング)に昇格[9]。
2024年初頭、退任したギュンター・シュタイナーの後任としてチーム代表に就任[10]。
人物・エピソード
F1のチーム首脳陣では珍しい日本人であり、毎レースでサーキットに帯同するため、レース中継や専門誌等でコメントを求められることも多い。『オートスポーツ』等の雑誌でコラムも連載するなど、執筆活動も行っている。
前述の通り2024年からハースF1チームの代表を務めており、日本人がF1チームの代表に就くのは山科忠(当時トヨタF1)以来15年ぶり[11]。過去には既存のチームを買収する形で第3期ホンダF1、ブラバム、レイトンハウス、フットワーク、ラルースで日本資本のチームで代表になったり、鈴木亜久里が自チームのスーパーアグリを立ち上げた例があるが、生粋な外国資本のチーム代表に日本人が起用されたのは初であった。
レーシングドライバーの中ではロマン・グロージャンと非常に縁が深く、2012年にロータスで初コンビを組んで以降、2020年にグロージャンがハースを離脱するまで9年間も関係が続いていた。グロージャンは「僕はアヤオと非常に強い関係を築いてきた」と語ることもあった[12]。
愛車遍歴はオペル・アストラワゴン→フォード・エスコートMk1→ミニ→ホンダ・ジャズ→ホンダ・シビック→ロータス・エキシージ→アウディ・A4。2019年現在はアウディは売却し「家族全員で乗れる4シーターのスポーツカー」に乗っているが、サーキット走行用にエキシージもキープしている[6]。
著書
脚注
- ^ “著書『エンジニアが明かすF1の世界』著者紹介”. 紀伊國屋書店. 2020年1月3日閲覧。
- ^ a b “小松礼雄はどんな人?ハースF1のチーム代表について知っておくべきこと”. F1-gate.com (2024年1月14日). 2024年4月12日閲覧。
- ^ a b F1界に衝撃、ある新興チームの善戦 エンジニア小松礼雄、「考える前にやる」の情熱 - 朝日新聞GLOBE+ 2020年12月15日
- ^ a b カナダGP2位のグロージャンを支えた、“文系”F1エンジニアの小松礼雄。 - Number Web・2012年6月14日
- ^ “ハースF1チーム新代表、小松礼雄物語(前編):イギリスで人生を変える出会い。佐藤琢磨がF1の世界へと誘った”. motorsport.com (2024年1月11日). 2024年4月12日閲覧。
- ^ a b 【F1チームの戦い方:小松礼雄コラム番外編】1日の仕事スケジュールに、お給料事情。チーフレースエンジニアの気になるアレコレ - オートスポーツ・2019年8月29日
- ^ “単身渡英から30年でF1チーム代表に上り詰めた小松礼雄 就任1年目から結果を出し続ける秘密は?”. Yahoo! JAPAN 柴田久仁夫スポーツナビコラム (2024年4月12日). 2024年4月12日閲覧。
- ^ F1界に奇跡を起こす1人の日本人。新興チーム・ハース快進撃の理由。 - Number Web・2018年1月1日
- ^ “F1で戦う日本人エンジニア・小松礼雄の苦悩。「それも醍醐味」”. Sportiva (2019年12月31日). 2019年12月31日閲覧。
- ^ “小松礼雄ハースF1新チーム代表「パフォーマンス改善をもたらす体制を築き上げ、結果を出したい」オーナーが大きな期待”. autosport web (2024年1月11日). 2024年1月11日閲覧。
- ^ “小松礼雄がハースF1チームの代表に就任。日本人がF1チーム代表となるのは、トヨタの山科忠以来15年ぶり|日本人F1チームオーナー列伝”. motorsport.com (2024年1月11日). 2024年1月11日閲覧。
- ^ “ハース躍進の重要なピース。グロージャン、小松礼雄の”スカウト”を誇る”. motorsport.com (2018年12月27日). 2020年1月3日閲覧。
外部リンク
- 小松礼雄 (@AyaoKomatsu) - X(旧Twitter)
- Ayao Komatsu - LinkedIn
ハース F1 | |
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創設者 |
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チーム首脳 |
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過去のチーム首脳・関係者 |
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ドライバー | |
過去のドライバー | |
車両 | |
エンジンサプライヤー |
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チーム関連会社/プロジェクト | |
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過去のメインスポンサー |
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ロータスF1チーム | |
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チーム関係者 |
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ドライバー | |
F1マシン | |
チーム関連会社 | |
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ルノー F1 | |||||||||||||||||||
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2016年 - 2020年 ワークスチーム |
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2002年 - 2011年 ワークスチーム |
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2001年 - 現在 エンジン供給 |
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1989年 - 1997年 エンジン供給 |
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1977年- 1985年※ ワークスチーム |
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B・A・R | |||||||||
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主な関係者※ |
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ドライバー |
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F1車両 | |||||||||
主なスポンサー | |||||||||
関連組織 |
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※出身組織(本来の所属組織)別に分類。 |
ホンダF1 | ||||||||||||||||||||||||||
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第五期 2026年 - パワーユニット供給 |
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HRC 2022年 - 2025年 パワーユニット供給 |
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第四期 2015年 - 2021年 パワーユニット供給 |
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第三期 2006年 - 2008年 ワークスチーム 2000年 - 2008年 エンジン供給 |
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HRD 1998年 - 1999年 試作・試走のみ |
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無限ホンダ 1992年 - 2000年 エンジン供給 |
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本田技術研究所 1991年 - 1994年 試作・試走のみ |
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第二期 1983年 - 1992年 エンジン供給 |
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第一期 1964年 - 1968年 ワークスチーム |
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関連項目 |
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |